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さようなら椿屋四重奏

2011年1月、あるロックバンドが解散した。椿屋四重奏艶ロックという独自のサウンドを世に送り出し、そして何よりわたしの青春の5年間を捧げたバンドだった。

解散はフロントマン・中田裕二のブログで告げられた。解散ツアーはなかった。直前に行っていた仙台での年越し公演においても発表はなかった。予定されていたライブが全て無事終了したタイミングでの突然の報告に、ファン達の間で衝撃が走った。

ファン達の驚きはやがて悲しみになり、中には憎しみや恨みになったものもあった。「なぜ何も言ってくれなかったのか。酷いじゃないか」

 

フロントマンの中田裕二は突然の解散報告に至った経緯についてこう書いている。

最後の最後まで現在進行形のバンドでいたかったから、
今まで通りに活動を続けました。
幕引きは椿の花の如く。

 バンド名の一部にもなっている椿の花は、花びらが1枚1枚散っていくのではなく、首元からぽとりと落ちて終わっていく。椿屋四重奏も"終わるバンド"として徐々に花びらを落としていくのではなく、いさぎよく散る美学を貫いたー。そんな風にもとれる。

解散当初、椿屋四重奏のいちファンだったわたしはこの理屈に納得した。和の美学にこだわる椿屋四重奏らしい終わり方だったと頭の中では理解し、最後までそれを徹底してくれた事を嬉しく思った。ただその一方でちゃんとしたお別れをしたかった(椿屋四重奏を"いつでも見られるバンド"という気持ちで見送った自分への怒りもある)、何かしらの区切りが欲しかった、とこの5年間ずっと思っていた。

※※※ 

その日も椿屋四重奏を聞いていた。『マテリアル』、最後に発表されたシングル曲だった。その歌詞を眺めながら、この曲は突然ファン達の前から姿を消した椿屋四重奏からの置き手紙のようなものだったのではないかと思った。

夏の雨が煙る日も

冬の風が舞う日も

君といた全てが僕を作ってしまったよ

マテリアルとは、材料・要素という意味らしい。中田裕二は歌詞の中でこのマテリアルという言葉をその人を構成する大事な要素、一部分として使っている。歌の中の言葉を使えば"君"(もしくは''君といた全て")がここでいうマテリアルにあたる。この歌は「別れ」をテーマにしていて、それは"君"との別れと同時に、"君"といたことにより作られた自分の一部分との別れも意味しているだろう。

 この別れの図式は、椿屋四重奏とファン達にそのまま当てはめることができる。椿屋四重奏を生活の中心に据えてきたファン達にとって、解散はただの好きなバンドとの別れに加えて、"椿屋四重奏のファン"である自分との別れも意味する。

そしておそらく椿屋四重奏というマテリアルを失ったファン達に向けたこの歌の歌詞は、こう続く。

無くしたらまた見つけてきなよ

ひとつ色を変えてごらんよ

明日を編み出すマテリアルを

心に飾りながら描き出そう

無くしたら、また別のマテリアルを見つけてくればいい。椿屋四重奏を失って、彼らを好きだった自分というアイデンティティの一部も同時になくしたファン達に、椿屋四重奏は、また新しく自分の一部となとなってくれる何かを探すよう言っている。突然の解散で喪失感に襲われ、明日からどうやって生きていったらいいのか、迷うファン達の気持ちを中田裕二はわかっていたのかも知れない。それを知りつつ、あえて言葉ではなく歌に託したそのスタイルは、まさにわたしが愛した"椿屋四重奏"だった。

※※※

解散から5年。椿屋四重奏のファン達の中には、失った穴を埋める新しいマテリアルを手に入れた人もきっと多いだろう。わたしもその1人だ。けれど未だに椿屋四重奏というバンドを思い出してしまうのは、最後まで己を貫いた幕引きの潔さと、置き去りにされたファン達への粋なメッセージがあまりにも美しいさようならだったからかも知れない。